Boramimi Special
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第1回岡崎パラリンピック大会
力走、快走、疾走、車いすレース初舞台。

2001年11月

秋晴れが広がる9月23日(日)、岡崎市中央総合公園で「第1回岡崎パラリンピック大会」が開催された。
岡崎市民病院でリハビリを通じて知り合った仲間たちの「地元岡崎で車いすレースができないか」との思いが結実した、夢の初大会。選手たちの熱闘で、新しい障害者スポーツ大会が、そのスタートを切った。


ハードルを乗り越えて

実行委員長の杉浦武幸さん。
車いす6km・レーサークラスに出場。
週に4日、仲間と練習に励む。
「1秒でもタイムを更新できると、ああ練習やっててよかったって。レースを始めてから、気持ちも前向きになったね」。
7人のメンバーで大会の実行委員会が結成されたのが、今年1月。「最初は何をどうしていいのか、どこへ声をかけていいのか、雲をつかむような感じだった」と話すのは、実行委員長の杉浦武幸さん。この9ヵ月、開催に向けて奔走してきた一人だ。
杉浦さん自身、ランナー歴9年のベテラン。世界最高峰の車いすマラソンレース、大分国際車いすマラソンにも出場する。10年前、農作業中の事故で両足を失い、「一生天井の節穴を見て暮らすことになる」と宣告されたものの、奇跡的に車いす生活ができるまでに回復。仲間に誘われて車いすレースに参加したのを機にその虜になり、今では全国の大会に出かけていく。
今回、出場する側から、大会を主催する側へ。後援、協賛の呼びかけに始まり、出場者集め、ボランティアの確保、コースの設定・・・と試行錯誤しながら一つひとつハードルを乗り越えてきた。「コースの一部が公園施設の駐車場を通るので、警察の許可をとりに行ったら、頭ごなしにダメダメってくわしい話も聞いてもらえなかったり。参加者50名の予定で後援金をとってたら、人数が予定よりずいぶん増えちゃって」と苦笑いで振り返る。




声援を追い風に
この日、参加選手は73名。岡崎、蒲郡、西尾など三河地区を中心に、東京、神戸、福井から杉浦さんのレース仲間も駆けつけた。種目は、義足ランニング100m、車いす2km(重度障害クラス)、同4km(普通車・健常者)、同6km(レーサークラス)の4部門。「全国の大会ではフル(42.195km)かハーフが一般的。たくさんの人に気軽に参加してもらいたかったから」と短距離を設定した。
車いす4kmのレースでは、健常者も一緒に力走した。4年前から車いすの丸山勝礼さんは、10歳の孫の彩華ちゃんを誘っての参加。「リハビリの一環で始めました。敏捷性が身につきます」とこれまで名古屋市のレースにも出ている。「初めて車いすに乗って、一生懸命練習した。毎日腕立て伏せもしたよ」と彩華ちゃん。ゴールするまでずっと肩を並べて走る姿が印象的だった。
学校の先生から大会の話を聞いて参加した高校1年生の小木曽友紀子さんは「なんか楽しそうだなと思って。でも練習しながら、普段何とも思わない坂道や段差がこんなにつらいものなんだって実感しました」。他にも体験学習として参加した碧南市中央中学校の生徒10人など、初体験組も多く、歯をくいしばって車いすを動かす姿に、励ましの声援が飛んだ。

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