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−笹島診療所のホームレス支援活動−
名古屋市中村区笹島、名古屋中職業安定所のあるこの地には、職安を通さずに人手を確保しようとする建設業などの求人が集まる「寄せ場」がある。そのため、名古屋でもっとも日雇労働者が多い場所だ。日雇労働者は、主に建設業などで下請けのもっと下請けとして景気の調節弁のように扱われているため、不況下では仕事が激減し、野宿をせざるを得ない状況に追い込まれる人が増えている。そんな笹島の日雇労働者やホームレスの支援活動を行う「笹島診療所」の取り組みを紹介する。
スタッフ藤井さんの写真 区切り絵 ホームレスへの偏見
 働くのが嫌いな怠け者、何をするかわからないこわい存在・・・。そんな偏見を私たちは持っていないだろうか?
「野宿したくてしているのだと思いますか?野宿で熟睡できると思いますか?」と問いかけるのは、笹島診療所の中心スタッフ藤井克彦さん。「ホームレスが差別にあい襲撃され、命さえも奪われているのが現状です」。昼間にブラブラしたり眠ったりしているホームレスを見て、偏見は強くなるのかもしれないが、実際は、夜中に食べ物を探したり廃品回収をしたりしている人もいるし、全財産(紙袋など)を盗まれないか襲撃されはしないかと、熟睡できない人が多いのだと言う。寄せ場での早朝の職探しで仕事にあぶれた人もいる。
 名古屋にホームレスが目立ち始めたのは1970年代のオイルショック頃。当時、名古屋で最初にホームレス支援活動を始めたのは、寄せ場で生きる日雇労働者の姿を描いた映画の上映運動をした「『どっこい!人間節』を上映する会」であり、藤井さんはその中心メンバーだった。

炊き出しから医療・労働問題へ
 最初は、おにぎりと味噌汁を配った。藤井さんたちはすぐに、栄養も十分にとれず衰弱しているのに窓口からホームレスを追い返す福祉事務所、まともに診察をしなかったり薬漬けにする病院などの現実に突き当たり、医療活動を行うこととなる。ホームレスを単に排除しようとする行政や国鉄に対し、ホームレスの人と一緒になって座り込みを決行したこともあった。
 日雇労働者が使い捨てにされている現実に突き当たり、低く扱われている労働者の権利を勝ち取る支援もしていくこととなる。日雇労働者とともに建設業者や行政を相手にたたかい、そうした中で笹島日雇労働組合が結成される。
 「ホームレス問題は、大きく言えば日本の経済構造の問題」とも藤井さんは言う。
事務所で相談を受ける中心スタッフの藤井克彦さん。藤井さんは、勤務先の会社の労働組合が御用組合なので労働組合を変えようとしたこともある。1970年代半ばに、「どっこい!人間節」という映画に出会ったこと、名古屋で十数人の日雇労働者が餓死・凍死したという新聞記事を見たことから、日雇労働者・ホームレス支援活動をはじめる。もっと力を入れなければと、1987年にサラリーマンを辞めることになった。

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