特集 戦争を知らない子どもたちに語り続けて25年、平和を尊ぶ心をはぐくむ ホームへ
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終戦から60年の歳月が流れました。 しかし世界のいたるところでは、今も戦禍はやまず、 平和を享受してきた私たちも忍び寄る戦争の影に不安を感じるようになってきました。 そして戦争の記憶の風化を心配する声も年々高まっています。 犬山市で草の根平和活動に取り組む時々輪斉子さんは、自らの体験とともに、 戦争の悲惨さを語り、命の尊さ、平和の大切さを子どもたちに訴え続けています。  
好奇心の声に応えて
 『戦争ってなに?原爆ってなに?教えて教えて』。子どもたちの好奇心の声が、活動のきっかけだった。       犬山市の前原台の自宅で小学生を集めて塾を開いていた時々輪さん、ある日勉強を終えてから、 蔵書の中から選んだ戦争の絵本を読み聞かせした。「昔は戦争があって、食べるものもろくになくて、 勉強をしたくてもできなかったということを子どもたちに知ってもらいたくて。そうしたら『戦争なんてあったの?』とびっくりされた。 これはいかん!と思ったんです」。今から25年前というと、小・中学校の教科書では戦争の歴史について1〜2ページ程度しか載っていなかったという。 広島の原爆の図や被爆少女の本をわかりやすく説明しながら読むと、じっと耳を傾け、興味を深めていく子どもたち。 想像以上の反響に驚いた。これからどう伝えていったらいいのか、広島の原爆資料館に手紙で相談をすると、 『これからも戦争の事実を細く長く語り継いでいってください。無理をしないで、なるべくお金をかけないで』と助言をもらい励まされた。
  子どもに平和を語る会の風景>
「そこで思いついたのが、戦時中の食べ物のすいとん!小麦粉1袋が150円位。水で練って丸めて塩味の汁に落として、あとはありあわせの野菜を入れれば安くて簡単にできる。これを子どもたちに食べてもらおうと思いました」と時々輪さん。塾のお楽しみ会で、戦争の話をしてからすいとんを出すと、子どもたちはめずらしい味に興味津々。『今度はいつやるの?』とせがまれ、「すいとんの会」として恒例行事になった。地域にも呼びかけ参加者も増えた。小学校の校庭で保護者も交えて大きなすいとん鍋を囲んだこともある。「昔は野の草を入れて食べてました。一日2杯食べられたらうれしくて。お腹が空いている時は食べ物の夢を見て、食べた気になって寝たんです」。すいとんは当時の暮らしを思い起こす。そしてその記憶は消えることはない。  時々輪さんは4歳のとき、空軍のパイロットだった父を東京大空襲で亡くした。3歳の弟、妊娠8ヵ月の3人の子を抱えた母は苦労をした。「父の戦死、母の一方ならぬ苦労を見て、戦争さえなかったら・・・といつも思っていました」と反戦の原点を語る。

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