2001年1月
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震災から学ぶボランティアネットの会
事務局長 栗田 暢之さん
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2000年9月11日、
東海地方を襲った未曾有の豪雨は
私たちの記憶に鮮明だ。
このとき、 水害ボランティアセンターを立ち上げ、
被災者支援活動の中心的な役割を担ったのが
「震災から学ぶボランティアネットの会」だ。
災害の報道は終息しても、被災者の生活再建は
これからが本番だ。
「被災者たちと心の通う関係を築いて、
息の長い支援活動をしていきたい」と語る
事務局長の栗田さんに、お話をうかがった。

 

最初に、震災から学ぶボランティアネットの会は
どのような形で始まったのか教えてください。


95年の阪神・淡路大震災のとき、私は同朋大学の職員だったんですが、「障害者が二重の苦しみを受けている」報を聞き、社会福祉学部を持つ大学の使命として、何かお手伝いできないかということで、ボランティアの窓口になって、学校をあげてサポートしました。震災後3月末日まで延べ1500人のボランティアが現地へ駆けつけました。でも、4月になると大学の授業が始まって現地から撤退し、だんだん活動も縮小してきた。名古屋に戻って募金活動やチャリティーバザーで集まったお金を送ったりしていましたが、それ以上の行動にはつながらなかった。県内の他のボランティア団体も同じような状況で問題を抱えていたんですね。せっかく灯したボランティアの火を消さないためにも、小さな団体が個々で活動するよりネットワークを組んで行動した方が幅広い活動が継続できるということで、同年の7月に会を設立しました。

阪神・淡路大震災の被災者への支援活動は
今も続いているんですか。


私たちの最初の取り組みは、被災した児童を岐阜県へキャンプに招待したり、東別院でチャリティバザーをしました。また神戸の方から愛知県に避難してきた人たちに神戸の情報を届けたり、茶話会を開いたりということもしてきました。その他、今でも半年に1回は復興住宅への訪問が続いているんですが、皆さん孫に会う感覚ですごく心待ちにしてくれています。あたたかい関係ができてきたと思いますね。

他にはどんな活動を?

年に3、4回の学習会、災害救援ボランティアコーディネーター養成講座の企画、月1回の機関紙の発行、それからリサイクルしながら緊急時に物資を備える「レスキューストックヤード」※の活動など、災害救援をテーマにいろいろやっています。緊急時、例えば最近では有珠山噴火災害にはボランティアコーディネーターを派遣したり、鳥取地震のときには調査隊を派遣したりして活動しました。

※レスキューストックヤードの活動については
2月号で詳しく紹介します。


東海豪雨を振り返ってお話をおうかがいします。
まず水害ボランティアセンターを立ち上げられた
経緯を教えてください。


私たちの会は、緊急時にボランティアを機能させる「防災のための愛知県ボランティア連絡会」のメンバーとして、愛知県と協定関係を結んでいるんです。9月11日に雨が降り始めてから、次第にこれは緊急事態だということで、翌朝12日、愛知県に連絡会の緊急召集を要請しました。被災地でもある名古屋市や社会福祉協議会との連携も不可欠だと感じ、一緒に運営していく要望を出し、自治体や他団体との協力体制を整えました。そして「愛知・名古屋水害ボランティア本部」と県内4カ所の地域ボランティアセンターの正式な立ち上げが決定したのが13日。12、13日と準備に奔走して、14日にマスコミに一斉報道、被災者支援のボランティアの呼びかけと受け入れを宣言しました。

 



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