― まずは、ゴジカラ村の意味を教えてください? |
ゴジカラ村は、たいようの杜全体を流れる理念なんです。僕はもともとサラリーマンだったからわかるんだけど、サラリーマンにとって、「5時まで」の時間を過ごす空間というのは、最短の距離を最高の効率で突き進むところでしょ。僕は、それとは逆のことをやりたかった。道草してもいい、それを許せる、全部OKの場所を作りたかったんです。だから、ここは「ゴジカラ(5時から)村」なんですよ。 |
― サラリーマンをされていたんですか? |
ええ、15年間ね。ちょうど昭和30年代の後半以降、日本が、豊かさや便利さを求めてひたすら走った時代と重なる時に、猛烈なサラリーマン生活を送りました。それはそれなりに楽しかったんだけど、こんなに急いで自分は一体どこに行くんだろう、社会はどこに行くんだろうと、ふとね、34、5才の時に立ち止まったわけなんです。無駄なもの、役に立たないもののなかに大切なものがあるんじゃないかと思い至って、それで会社を辞めました。しばらく消防団活動に打ち込んだんですけど、それはもうホントに楽しかった。自分が何かをすると「ありがとう」って言われるの。そんなの、仕事ではまずないことだから、とても新鮮でね。 |
―それでまず幼稚園を作ったのですか? |
そうです。僕が作りたかったのは、自然の中に一日いて、それだけで色々なものが学べる幼稚園。絵も歌もない、その代わりに、たとえばカタツムリの動きだけを見て一日過ごしても何も言われないような。子どもの頃にはそういうことが大切なのに、現代社会は子どもすらも「早く、早く」と急かす時代でしょ。それを仲間や家族に話したら、「じゃあ、そんな場所を作ってよ」。じゃあ、作るかって。その流れで、老人施設も作っていったんです。作る前には、老人ホームも、幼稚園も色々見て回りましたよ。でも、どれもこれもコンクリートの建物で、会社みたいだった。時間に縛られて、管理されて、子どもも職員も制服着て。僕はもう、そんなものは作りたくなかったんですよ。 |
―でも、超えなきゃならないハードルもありましたよね? |
もちろんありました。でも、なかったかな。僕は、老人福祉に関しても幼児教育に関しても、ずぶの素人。何も知らないということは、裏を返せば、何でもできるという強みになった。たまたま土地はあって、その他のことは、銀行にしても、建物の設計士にしても、とにかく自分の夢を熱く語って、紙に書き綴って、相手を口説きましたね。人に押しつけられたものじゃなくて、自分のやりたいと思った事だから頑張るしかない。絶対にくじけない。ビールがどこででも飲めるようにしたことも、露天風呂を作ったのも、全部、僕のやりたいこと。逆に、専門的なことは、人に頼むしかない。僕は福祉の資格が何もないから、「お願いします」ってひたすら人に頭を下げるだけでした。 |
―20年間の人々とのふれあいを通して、どんなことを感じますか? |
今は自由を楽しめない人が多いって感じますね。そういう訓練を受けてこなかったから当たり前かもしれないけれど。ここでも、指示を欲しがる職員がいますが、僕は、目の前にいる老人の中に指示があるでしょって思う。別に難しい事を勉強しろとは言わない。目の前にいる老人が、 どうすれば楽しいのか、快適なのかを考えて欲しい。もっと、自由に自分の発想を持って欲しいですね。 |
―最後に、ゴジカラ村の時間銀行について教えてください? |
数年前に、主に主婦のボランティアを対象に、一番動きの遅い人と一緒に行動するという講座を開いたんです。やってみて気付いたのは、みんな、仕事をきちっとやる能力はあるけど、一番遅い人に自分の動きを合わせるせる能力はないってこと。そこで時間銀行の発想がでてきたんです。人の能力には差があるけれど、時間だけは同じ。同じ時間のなかで自分のできること、やって欲しいことを時間券を使って交換する、それが認め合える仕組みを作ろうって考えたんです。たくさんやる人も、少しやる人も同じ。早くやる人も、ゆっくりやる人も、みんなOK。そして、まず、資格も何ももたない子どもが一番とっつきやすいだろうということで、幼稚園での取組みを最初に始めたんです。 |
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