鬼頭さんが「童話」を書き始めたのは20年前。印刷会社の営業マンとして働いていたある日、5歳の息子のために絵本を買いに行った。それまで童話など書いたことのなかった鬼頭さんの頭に、ふとひとつの童話が浮かんだ。「かわいがっていた犬が死んで土の中で骨になってしまったけれど、その骨がお墓にタンポポを咲かせている」というもの。その話を聞いた奥さんの「書いてみたら?」の一言がすべての始まりだった。「たとえ死んでしまっても、犬はどこかで生きているんだよ」という鬼頭さんのメッセージが込められた童話を、二人の子どもは涙を流して聞いてくれたという。その後、子どもたちから次の童話を催促され、次第にその輪は近所の子どもたちにも広がっていった。「おじんの童話会」を自宅で初めて開いたときには、50人ほどの子どもたちが集まった。「仕事の営業先でも、童話が浮かぶと仕事を後回しにして書いてしまうほどになった」という鬼頭さんは、会社を辞め、「童話」という新しい世界へ飛び込んだ。
鬼頭さんの自宅へ童話を聞きに来る人が増え続ける中、名古屋市芸術創造センターのホールを借りて朗読会を行う機会を得た。そのとき口コミだけで集まった人の数は、なんと450人。 最初で最後のつもりだったその公演後、「毎年やってみないか」という誘いを受け、以来、新作童話会という形で年1回、現在までに15回公演を行ってきた。スタッフの数は自然に増え、朗読の他に、三味線、和太鼓、ダンスなど、公演会の内容も多彩になった。
この年1回の公演と同時に、小中高等学校や児童福祉施設など「声が掛かればどこでもやる」という自作童話の朗読会は、年70回以上にも及ぶ。数年前からは、夫婦による朗読に、シンガーソングライターの娘、瑞希さんがピアノで伴奏をつけ、親子3人で全国各地を回っている。
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