特
   集
市民の歴史的資産を、
市民の立場から次世代に残す
 − 特定非営利活動法人 揚輝荘の会 −
ホームへ/
バックナンバー目次へ

かねてから建築的・歴史文化的価値が注目されてきた揚輝荘。揚輝荘の会は、「近代建築」「庭園緑地」「歴史文化」「国際交流」「まちづくり」をキーワードに、2002年に設立。2006年3月にNPO法人格を取得し、この春2年めを迎えた。揚輝荘はこのほど寄贈され、今後は名古屋市が保全・活用の主体となる。行政との協働ぶりがますます注目される当会の事務局田中さんほか、ボランティアのみなさんにお話を聞いた。

「春を楽しむ会2007」  
 4月1日(日)、揚輝荘の会主催の恒例イベント「春を楽しむ会2007」が揚輝荘で開催された。前夜の雷雨がうそのような、桜満開の春爛漫な一日。聴松閣では、地下ステージで楽器演奏、2階で生花展や写真展。庭園では、白雲橋で日本舞踊、茶の野点など。ボランティアスタッフが随時、来場者に建物と庭園の説明をしていた。弁当やビールも販売され、広大な敷地のあちこちで、うららかな春を楽しむ市民がゆったりと過ごす光景が印象的だった。  今年で4年め。春・秋の園遊会、月見会、国際交流イベントなど、揚輝荘という歴史的な資産を利用して、年に数回100人規模が参加するイベントを企画・運営する。今回も、定員を超える166名が参加。「3カ月前に日程を決定し、出演者に交渉して詳細を決めます。130名の会員に広報すると、すぐに150名ほどの参加申込みがありますね」と話すのは当会の事務局の田中進さんだ。
市民参加のイベントと地域連携
大成功裡に終了した「春を楽しむ会2007」だが、スタッフの事前準備や細かい配慮があってのことだ。収支の計画から申込者の管理、ボランティアスタッフの役割分担や連絡、事前の掃除や庭園の手入れ、テント・弁当の手配、トイレの設置、サイン表示にいたるまで、細かい事項が多岐にわたる。  イベントの運営企画案は、毎月第一水曜夜の定例会で会員と協議して決定。準備期間は3カ月ほどだ。  地元の協賛や協働が多いのも特徴。この日も地元の商店街や高校の協力があったが、ひとつひとつの交渉も大事な仕事だ。前日までも10日間、この地域をあげて「やまのて音楽祭2007」が行われており、揚輝荘も会場を提供。揚輝荘の会が全面的にバックアップした。「城山・覚王山地区を盛り上げていきたい。地域の連携が強いんですよ」。

揚輝荘の会の活動
会の発端は、2001年から始まった名古屋市の「城山・覚王山地区魅力アップ事業」。ここで歴史散策会やシンポジウム、ワークショップなどに参加した市民が中心となって、揚輝荘を保全・活用しようと2002年に設立された。2006年3月には、NPO法人格を取得した。  揚輝荘の会のこれまでの活動は、大きく7つに分かれる。

1.市民参加型イベントの企画運営:観桜会や観楓会など季節ごとのイベントをはじめ、揚輝荘を異文化交流広場ととらえた国際交流イベントも多数。地域での共催イベントも

2.揚輝荘やまちづくりに関するセミナー開催:生涯学習の拠点として

3.建物・庭園保全活動:建物の掃除や修繕整備、庭園の落ち葉掃きなど

4.建物・庭園調査・研究:実測調査や再構築案など。2007年3月にも、敷地内で出土した地下トンネルについて確認、記録した。ワークショップの開催も

5.揚輝荘見学案内:イベントや見学会でガイド可能なボランティアスタッフは20名も

6.広報・アンケート:揚輝荘を市民の資産として残していくためのPR(パンフレットやマップ作成など)や展示、行政・学校・他団体とのパートナーシップ

7.事務局業務(助成金、理事会など)

 スケジュールや得意分野に合わせて、20代〜70代の会員のうち約40名がボランティアとして活動してきた。揚輝荘は高度な技術や素材で作られており、建築や造園の学識者の参加なしでは維持できない。イベントの司会には、プロのアナウンサーがボランティアで担当することもある。  「揚輝荘という文化的遺産を次の世代に引き渡していこう、という会の趣旨をうまく伝えながら、もっとたくさんの人に活動してもらいたいですね。とくに若い世代の育成が課題です」と田中さんは言う。そのためには、地域学校での総合学習への協力なども有効であろう。


揚輝荘(ロゴ) Y O K I S O
松坂屋創業者伊藤家の第15代当主伊藤次郎左衛門祐民氏が1918年(大正7年)から覚王山の約1万坪の森を切り拓いて造った別荘。名古屋市千種区にある日泰寺の東南に隣接し、完成時は30数棟が威容を誇ったが、戦時下の焼失やマンション用地化などで、現在は敷地約3000坪。緑地帯には樹齢100年超のクスの大木、ヒトツバタゴの大木などの自然環境が残る。  「聴松閣」は、ケヤキの一枚板扉や釿目削りの手すり・窓枠など建築史上も貴重な意匠が残存する。地下には、インド様式を取り入れた広間とバーツ付きの舞踏室があり、インドの留学生により描かれた壁画が残る。昭和の初めにアジアからの留学生が寄宿し、日本人寄宿者とあわせて数十名の国際的な教育コミュニティを形成していたというエピソードは、『揚輝荘、アジアに開いた窓―選ばれた留学生の館』(上坂冬子著)にまとめられている。  「伴華楼」は、夏目漱石の義弟にあたり、鶴舞公園噴水塔、旧東海銀行、旧松坂屋などを手がけた鈴木禎次が設計。明治33年築の旧尾張徳川邸から移築した茶和室と洋風建築とが融合している。修学院離宮を模したといわれる池泉回遊式庭園には白雲橋など。地下鉄東山線覚王山駅歩8分。


聴松閣

昭和12年竣工の山荘風建築「聴松閣」。揚輝荘のランドマーク

聴松閣の地下。柱頭や天井の彫刻
聴松閣の地下は、インド様式の意匠が目を引く
伴華楼 2階廊下部分
昭和4年完成の「伴華楼」。社交の場所として供され、たくさんの要人が訪れたという(写真は2階廊下部分)

庭園
緑したたる静謐な庭園では、うぐいすの鳴き声も聞こえた

白雲橋での日本舞踊
白雲橋を舞台に舞われる日本舞踊。都心とは思えない自然のなかでの優雅なひととき


揚輝荘と会の今後
 個人所有であった揚輝荘は寄贈され、4月2日から名古屋市の所有となった。名古屋市が3月に策定した「名古屋新世紀計画2010第3次実施計画〜つながる元気 ひろがる協働〜」にも、歴史・文化の保存継承と情報発信のひとつとして「揚輝荘の保存活用、修復、順次公開」が謳われている。揚輝荘の会にとっても、これからが大きなターニングポイントになりそうだ。  今年は4月下旬〜6月まで週3回の庭園公開、秋ごろからは週1回の建物公開での管理について、これまでの経験を活かして名古屋市へ協力していくことになる予定である。将来的な一般公開に向けて、今後公有民営といった形態も具体的に検討されていくだろう。「市民の代表として、市民の立場から、揚輝荘という市民の歴史的・文化的資産を守っていきたいですね」と田中さんの声は力強い。今後の展開が楽しみだ。
受付のボランティアたち  いすを運ぶスタッフ
受付や会場設営を手伝っていたみなさん。ほか参加者の誘導、弁当配布、構内ガイドなど、この日のボランティアスタッフは35名。ワークショップやイベントに参加したのがきっかけという人が多い
事務局長・佐藤允孝さん
拡声器を持ち、イベントを指揮していた事務局長佐藤允孝さん。「揚輝荘は古い建築物というだけでなく、歴史的・文化的な資源、資料の宝庫。これらを多角的に演出して、文化的情報の発信基地として、新しいコミュニティの構築として活用していきたいですね」。定年退職後に大学へ通い学芸員に。佐藤さんによる揚輝荘セミナーも好評だ
事務局・田中進さん 事務局田中進さん。イベント時には、ボランティアスタッフの役割分担や統括、連絡、来場者の管理など、事務方を一手に引き受ける。「定年退職後、週3回揚輝荘に通っています。仕事より楽しくなってしまって」


ボランティアの声(ロゴ)
三上 啓之さん
三上 啓之さん
はじめて参加したのは、揚輝荘で開催された昨年春の国際交流イベント。「旅行が好きで、海外に興味があって参加したのをきっかけに、2カ月に1回程度、イベントの当日スタッフとしてボランティアしています」。ふだんはIT関連企業で、プログラマーというハードな仕事をこなす。この日もたくさんの椅子を運んだり、大変そうですが?「イベントではふだん聴かないような音楽にも親しめます。友だちもできますし、楽しんでやってますよ」 Information
特定非営利活動法人揚輝荘の会

設立:2002年 会員:130名(20代〜70代)
約40名が庭園整備やイベントスタッフとしてボランティア活動中
代表:鈴木賢一
名古屋市千種区法王町2-5-1
TEL: 090-8555-6526(事務局:田中 進)
FAX: 052-762-3788
E-mail: yokiso@dune.ocn.ne.jp

※庭園・建物の公開については、「広報なごや」などでご確認ください
※揚輝荘の会の趣旨に賛同いただける会員を募集しています(正会員:5000円/年[入会金3000円]、賛助会員:3000円/年)。上記までご連絡ください


安藤 陽子さん
安藤 陽子さん
自分にとっていやしの場であった大和生命ビルが取り壊されたとき、何もできなかった無力感を感じていたころに揚輝荘の見学会に参加。共同で建築設計事務所を営んでいる。「この建築や庭を残したい、と思って。イベントを手伝ったり、落ち葉拾いに参加したりしています。ボランティアを続けるには、自分が楽しむこと。たくさんの和気あいあいとしたメンバーのなかで、よい気分転換をさせてもらっています」

ホームへ /  バックナンバー目次へ