◆ 私たちボラみみ取材班は、ある一日、同行させてもらった。
7月下旬の猛暑日。この日は名古屋市の名鉄病院へクラウンたちが行くことになっている。クラウンはたいてい2人1組の男女のペアで行動するとのこと。この日は2組4名のクラウンが出動だ。ホスピタル・クラウン協会の事務所から20分ほどで病院に到着。勝手知ったる足取りで、裏口から「こんにちはー!」と入っていくと、小児病棟のナースさんたちから「子どもたちお待ちかねですよ」と声がかかる。
小さな控え室で、4人はいっせいに着替え始め(男女一緒の部屋なので、背中を向けて着替えていました)、10分ほどでクラウンに変身。病院なので、あまり派手なメイクはしないという。ほっぺを少し赤くしたり、メガネをかけたり。でも、赤い鼻がつくと急にクラウンらしくなる。クラウンに変身したメンバーは、一瞬にしてこの表情(写真参照)。
クラウンテルダー
(愛称テルちゃん)
最年長のホスピタルクラウンは、「おじいちゃんピエロ」と子供たちに親しまれている。
クラウンシャンティ
「若い頃からクラウンを目指していたわけではないけど、素敵な出会いが重なって、クラウンにはまっていった」と話す。
クラウンロイ
「人を笑わせることに興味があった」と語る元落語家志望。
クラウンアイアイ
独特の巧みな話術で子どもたちとすぐにうちとける。
◆ 「ピエロさんが来たー!」子どもたちは大喜び
比較的元気な子どもたちは廊下でクラウンを待ち構えている。
3時ジャスト。2組は二手に分かれて病室を回り始めた。
「ピエロさんが来たー」、比較的元気な子どもたちや入院中の子どもの兄弟たちが廊下に集まって来る。やっぱり「ピエロ」だと思っているらしい。でも、クラウンたちはいちいち訂正しないから、最後まで「ピエロさん、ピエロさん」と呼ばれていた。
入院中でも、子どもたちはこんな風に笑うんだ、いや、つらい入院中だからこそなのか。兄弟の入院で不自由な思いをしている兄弟たちも大喜び。つきっきりで疲労がたまっているであろうお母さんたちからも笑顔が。
全病室を一つ一つていねいに回る。子どもの年齢に合わせて、いろいろな小道具が飛び出す。どの年齢の子どもたちにも大人気なのがバルーン。クルックルッキュッキュッ…あっという間に風船がくまやお花に変身する。
中学生くらいの子どもには、少し高度なマジックを見せたり、逆に小さな赤ちゃんにはおもちゃでコミュニケーションを取ったり。
二手に分かれたクラウンたちが全病室を回り終わったのは、5時前だった。
面会時間や食事時間を考慮して、どの病院でもたいてい午後3時から5時が活動時間だそう。入院患者が多い病院では、一人ずつで回ることもある。
バルーンは一気に子どもとの距離を縮める。
左手の点滴が痛々しいが、
ひと時病気を忘れているようす。
◆ クラウン団体では日本一の組織
NPO法人日本ホスピタル・クラウン協会の理事長である大棟耕介さん※は、(有)プレジャー企画の社長でもある。以前は鉄道会社に務めていた大棟さんが、クラウンに出会ったのは、17年ほど前に受けたクラウン講座だった。半年間の講座はとても楽しく、仲間にも恵まれ、「このまま終わるのはもったいないから活動しよう」とサークルを立ち上げた。週に1度集まって練習し、子ども会や幼稚園などで公演するも、仲間うちの練習ではレベルが上がらない。向上意欲の高まった大棟さんは、全国で開催されるいろいろなワークショップに参加し、着々と力をつけていった。
二足のわらじをはいていた大棟さんだが、だんだんとこちらの活動がメインになり、とうとう退職し、1998年にクラウンの会社、(有)プレジャー企画を立ち上げた。当時から一緒にやってきた梶原さん(協会理事・クラウンテルダー)は、「あの頃の大棟の努力は並み大抵のものではなかった」と振り返り、ご自身も定年後はクラウンの活動に専念している。
日本で活躍するクラウンはたくさんいるが、個人で活動している人がほとんどで、この(有)プレジャー企画が最も多くのクラウンを抱えているという。その数現在30名以上。
クラウンには、もちろん簡単になれるわけではない。同社で毎年開催している養成講座を4カ月間受講した後、さらに数カ月の専門的な養成期間を経て、やっとクラウンとして登録できる。登録して少しずつ公演に出演するようになっても、第一線で活躍できるまでには何年もかかるという。第一線で活躍するクラウンたちも、まだなお毎日数時間の練習を重ねているというから、厳しい世界だ。
※大棟耕介さんは、WCA(道化師の世界大会)で、2003年に銀メダル、2008年にはグループ部門で金メダルを獲得している。
◆ 病院に笑いを運ぶホスピタルクラウン
病院に定期的に訪れるクラウンを「ホスピタルクラウン」といい、欧米では定着している存在だ。1995年、大棟さんたちは、アメリカでホスピタルクラウンに同行する機会に恵まれ、これを自分たちもやるべきだと思うようになった。最初は、名古屋第一赤十字病院へ月に2回ずつ訪問するところから始めた。病院や患者からは料金はいただかない。クラウンの交通費やギャランティ(通常のショーのギャランティの1/3程度で活動している)ほかの運営費は、個人や法人の賛助・寄付でまかなわれている。
2005年11月に「日本ホスピタル・クラウン協会」発足。(有)プレジャー企画とは別組織として活動することになった。2006年にはNPO法人化。ホスピタルクラウンは、プレジャー企画のクラウンの中から志願した人たちで、現在は14名だ。
病院にクラウンが来るなんて、最初は理解されないこともあった。しかし、現在では全国15病院に定期的に訪問するまでになり、活動を知って「来て欲しい」という病院は後をたたない。しかし、子どもたちが待っていてくれるため、同じ病院に最低でも月に2回は出かけたいので、なかなか病院数を増やせないでいる。
今後は、この活動をどんどん広げ、もっといろいろな病院に出かけたいし、全国のいろいろな場所に支部も出す計画があるという。
テルちゃんの登場に、照れながらも嬉しそう。
ベッドの柵越しにクラウンに興味深々。