2011年10月、私は内定先の企業が主催した、宮城県・七ヶ浜におけるボランティア活動に参加した。
その時、宮城県を短期で訪れていたあるボランティアと現地の人が取っ組み合いのケンカをした。
泥酔したボランティアが、震災に関する不誠実で不謹慎な言葉を叫び、たまたま近くにいた現地の人と口論になったとのこと。
このような、「ボランティアvs現地の人」という構図はたびたび見られたが、ほとんどがボランティア側の注意力不足に起因していたと思われる。
私自身、当時はぼやけた志望動機しか持っていなかったため、「悪いボランティア」の予備軍だったと言える。
活動の初日、宿泊先のホテルで開かれたミーティングで最初に伝えられたことは、現地の人々に配慮するということ。 東京から来た我々ボランティアは、被災したとは言え現地の人に比べその傷ははるかに浅い。 そのことを理解していない来訪者が多いため、現地でのボランティア活動を軽く見てしまう傾向があるというのだ。 まず、現地の人に対して震災の話はタブー。 「大変でしたね」、「お気の毒です」といった慰めの言葉も控えるように言われた。 こちらは現地に4日といない短期ボランティア。 そんな我々が現地の人々の感情を理解したつもりになったり、慰めようとしたりすると、おこがましく聞こえる可能性があるとのことだった。 他にも、作業中は余計な私語を慎み、むやみに笑顔を見せることも控えた。 これらの禁止事項はすぐに気が付けることだし、基本的なことだ。 しかし中には、現地に足を運ばなければ到底気が付かないようなこともあった。
ある大企業からのボランティア団体は、活動に慣れているためか、素人団体とは共同作業をしないことが多かった。 また、現場で大石を除去したときは、「やっと動かせたぞ!」と盛り上がって歓声を上げていたが、その土地で多くの命が失われたことを考えると非常に不謹慎な行動だと強く指摘を受けていた。 特に遠方からの短期ボランティアは被災度が低い分、現地の人々の感情を無視した行動をとってしまうことがある。 例えば、我々が担当した 地区は家が完全に流されており、ほとんど荒野状態だった。 そのため我々ボランティアは、バスの到着地から作業現場まで直線的に歩いた。 これは現 地の人たちから見ると、震災前に家や公園があった思い出の場所を赤の他人がどかどか踏み歩いている、軽率な行動に見えてしまうこともあるのだろう。
私が4日間で体験できることは非常に限られていたと思うが、以上のような苦い経験もできたことはむしろ自分にとってよかった。 現地での活動を充実したものにし、モヤモヤした気持ちで終わりたくなければ、現地に住む人に対して敬いの念を持って接し、自分自身の言動一つひとつを振り返りながら活動することが重要だと思う。 震災から1年以上が経つが、今も七ヶ浜には300人超のボランティアが集まっている。 私のように、ぼやけた志望動機しか持たない人も大勢いるだろう。 確かに震災の復興という大義には貢献できる。 しかし、ただ汗水流して働くことだけに精力を出せば、無意識に現地の人々の感情を傷つけていることに気が付かないまま、自己満足で終わってしまうかもしれない。 ボランティア活動を通じた気付きの一つひとつが、ボランティア個人と現地の人の双方の財産になるとよいと思う。