特集2002年12月号

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写真 いこまハウスでの取組み


 知的、身体、精神障害、その種別にかかわらず、どんな利用者も受け容れていきたいというのが、「いこまハウス」の当初からの方針だった。その結果、集まったのは、施設では面倒を見られないと追い出されたり、入所を断られたりしてきた、障害の重い人たちばかり。
「本当なら、重い人ほど施設は受け容れるべきだと思うんですけどね。だって、自分や他人を傷つけたりする危険性のある人に家庭以外の居場所がなかったら、家族は崩壊するしかないでしょ。」

 そう指摘する山内さんは、もともとトラックの運転手をしたり、葬祭会館でサラリーマンをしたりと、福祉業界とは畑違いの場所に身を置いていた。20代の後半になって、知人からの誘いで福祉業界に足を踏み入れるが、「無駄が多いし、おかしな業界だな」という感想を持った。
「たとえば今、子どもが家で暴れているって親御さんから連絡が入ったとします。僕は、目の前に助けを求めている人がいたら、すぐにでも助けに行こうってシンプルに思う。業務があるなら、休憩時間を削って行けばいい。でも、施設側にするとその行動は×(バツ)。『全部の職員がそんなふうにはできない』『施設の方針にあわない』というわけです。ただSOSを出されると、どうしても体で反応してしまうから僕は勝手に動いてしまう。だから施設では、嫌われちゃうんですよね(笑)。でも、困っている人のために働くのが、僕らの仕事、福祉の役割でしょって僕は思うんです。」

 「いこまハウス」は、山内さんが色んな矛盾にぶちあった施設勤めを辞め、元同僚と3人、障害者と家族のSOSに応えるために、本来の福祉を取り戻すために作った場所だった。


写真 いこまハウスでの取組み
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