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夢は叶えるもの 連載 2013.5 Scene 8 IMAMURA AYAKO

PROFILE


 今村 彩子さんの写真

いまむら  あやこ

今村 彩子

映像作家

Studio AYA 代表

名古屋出身・B型・朝型人間

体を動かすことが好きで、週に2〜3回、大高緑地公園で5キロ走っている。小学生の時は3度の食事よりも本が大好きで、今も外出する時は必ず本を持っていく。

ツイッターやブログで日々のことをつづっています。

http://studioaya.com/




ご意見ご感想をお待ちしております。ボラみみより情報局まで。



撮影中の1コマ

撮影中の1コマ

心を撮る職人

 私の部屋に1枚のミニチュアサーフボードが飾ってあります。桜満開の季節に生まれた私の誕生日に、あるサーフボード職人が贈ってくれたものです。

 その職人は、2年前に制作した映画「珈琲とエンピツ」の主人公、太田辰郎さんです。太田さんは、20年間勤めていた会社を辞め、6年前に長年の夢だったサーフショップをオープンしました。お店には自分が作ったサーフボードの他にハワイアン雑貨も並んでいます。土日になると、お店はサーファーだけでなく、フラダンスのおばさまやカップル、家族連れのお客さんでにぎわいます。初めて太田さんに会った時、「ハワイの人!?」と思いました。恰幅のいい体に真っ赤なアロハシャツを着て、とても楽しそうな顔をしていたからです。

 ろう者がサーフショップを経営していると初めて聞いた時、「どうやってお客さんと話すの」という疑問が真っ先に浮かびました。コミュニケーションをあまり必要としない工場で働いているろう者が、私の周りに大勢いるからです。好奇心がむくむくと頭をもたげてきた私は、太田さんのお店に行ってみました。すると、手話や福祉とは全く無縁そうな茶髪の兄ちゃんが、身振り手振りで太田さんと楽しそうに話していました。ふたりのやり取りは、まるで英語の苦手な日本人と日本語が分からないアメリカ人が、お互いに思いを伝えようと身振り手振りで会話をしているようで、とても新鮮でした。「その会話のやり取りを撮りたい!」と思った私は、太田さんのお店に毎月通うことになりました。取材は1年半に及び、太田さんのお店に泊めてもらうことも度々でした。

 ある日、お店の常連のサーファーにインタビューした後、筆談で「何で太田さんを取材しているの?」と聞かれました。私が、「日本で、ろう者でサーフィンのお店を経営しているのは太田さん一人だからです」と答えると、「ええ?そうだったの?」と驚かれました。私は、逆にその反応に驚きました。「ろう者でサーフショップを経営している人、他にもいると思ったの?」と聞くと、「うん、ろう者でサーフィンやっている人多いから」と。私はその発想がとても新鮮でした。一般の人は、お店の経営は聞こえる人にとっても大変なことだから、ろう者が経営しているということに驚きます。しかし、彼は逆に日本でサーフショップを経営しているろう者が太田さん一人だけだという事実に驚いていました。それは、彼がろう者を「生活が大変で苦労している障がい者」として見ていないからだと気づき、嬉しい気持ちになりました。アロハシャツを着たビッグスマイルの太田さんが、彼をそういう思いにさせたのでしょう。

 サーファー仲間たちは、太田さんのことを「たつりん」と親しみを込めて呼びます。彼らは手話はできません。身振りと筆談で話しています。それは、ろう者を助けるために手話を覚えようという気持ちよりも嬉しいことです。「伝えたい」という思いが、体全身から伝わってくるから。 太田さんが作ってくれたミニチュアのサーフボードには「心を撮る職人」と書かれています。「僕はボードを作る職人。今村くんは心を撮る職人。いい映画を撮って欲しい」とプレゼントしてくれたのです。部屋の窓から見える桜を眺めながら、私は改めて思いました。心を撮る職人になろうと。

ミニチュアサーフボード(心を撮る職人 今村彩子)

 ミニチュアサーフボード

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