特集 戦争を知らない子どもたちに語り続けて25年、平和を尊ぶ心をはぐくむ ホームへ
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終戦から60年の歳月が流れました。 しかし世界のいたるところでは、今も戦禍はやまず、 平和を享受してきた私たちも忍び寄る戦争の影に不安を感じるようになってきました。 そして戦争の記憶の風化を心配する声も年々高まっています。 犬山市で草の根平和活動に取り組む時々輪斉子さんは、自らの体験とともに、 戦争の悲惨さを語り、命の尊さ、平和の大切さを子どもたちに訴え続けています。  
出会いを糧に
「風力発電」と「太陽光発電」。あまった電力は中部電力に売っている。 時々輪さんが贈ったポンプ式の井戸。 NAGOYA JIJIWA SAIKO PRESENTの文字が刻まれている。
 さまざまな出会いが、時々輪さんの活動を広げていった。知覧特攻平和会館をつくった板津忠正さんもその一人だ。  かつて航空特攻最大の基地があった鹿児島県の知覧。昭和20年の沖縄決戦では439人が命を落とした。板津さんも特攻出撃したが、エンジントラブルで帰還、その後出撃する機会を失ったまま終戦を迎えた。名古屋に戻って働くかたわら、戦友たちの遺品を集めるため全国を訪ね歩き、その遺品などを元にして平和会館を設立、初代館長を務めた。すいとんの会の催しに板津さんを招いたり、一緒に講演に行くこともある。「特攻は国のために死ぬのが当たり前、名誉の戦死という教育を受けていた。生き残ったら恥と言われ、特攻帰りを隠して生活した。哀しいですよね、生きて帰ったことが罪になる。板津さんの生々しい話にみんな熱心に聞き入ります」と時々輪さん。また、長崎の慰霊祭で、犬山市に住む被爆者の女性と知り合い交流を重ねた。凄惨な被爆体験を語ってもらい、ともに反戦を訴えた。  出会いはまだまだある。10年程前、犬山市の国際交流施設で開催していた「カンボジア展」に出かけた。地雷で手足を失う子ども、貧しい暮らしに物乞いを強いられる子ども、井戸がなく少ない雨水で生活する人々のことを知り、そこで訴えていた心の井戸を贈るプロジェクトに共鳴、計3基の井戸を贈った。また、親のいない子のための「里子制度」では、年間3万5千円で里親になり、2人の子どもの教育を助けている。「私はそんなに贅沢はしないの。食べる物も着る物も特価!そうやって少しずつためたお金で支援してるんです」。6年前にはカンボジアに行き、井戸の村を訪ね、里子にも会った。最近は、カンボジアの現状や国際交流について語ることも多い。  さらに、時々輪さん、明治村でガイドボランティアとお琴のボランティアを4年前から続けている。帝国ホテルでお琴を披露し、子どもたちに日本の伝統楽器を体験してもらっている。お琴は若い頃、専門学校に通い免状を持つほどの腕前。「“心の琴線に触れる“と言う言葉があるけど、私にとって琴の音色はまさにそう。淋しい時、悲しい時、澄んだ音色に救われ励まされてきました」。  時々輪さんはこれからも持ち前のパワーとフットワークで活動の輪を広げ、多くの子どもたちの琴線に触れるメッセージを語り続けていくだろう。

Information

団体名:すいとんの会
住所:犬山市前原向屋敷95ー33
TEL&FAX:0568ー62ー3346

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